ホント、久々に?
最近、藤原正彦先生の「日本人の誇り」(文春新書780円税別)を読んでいます。
江戸時代の封建制度の中で暮らしていた日本人がいかに幸せだったかを気づかされてびっくりしています。
そういえば、私が受けてきた学校教育はまだ少しましで、私の娘の頃にはひどい状況だったと思う。日教組の存在そのものが日本の日本らしさをなくし、何か別の世界に日本を進めていこうという謀略が見える。
不登校も・・・・
続きは明日に
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最近、藤原正彦先生の「日本人の誇り」(文春新書780円税別)を読んでいます。
江戸時代の封建制度の中で暮らしていた日本人がいかに幸せだったかを気づかされてびっくりしています。
そういえば、私が受けてきた学校教育はまだ少しましで、私の娘の頃にはひどい状況だったと思う。日教組の存在そのものが日本の日本らしさをなくし、何か別の世界に日本を進めていこうという謀略が見える。
不登校も・・・・
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妻の機嫌が悪い。
なんでか分からないときがある。
そんなことありませんか?
私は妻が甘えているのだと考えることが出来るようになりました。
機嫌が悪いのに「甘えている」っておかしいでしょ、と思いませんか?
赤ちゃんがお腹がすいて機嫌が悪くなると泣きますよね、小さな子供は機嫌が悪くなると泣いてそれを表現します。
肉体的には40代でも精神的に5才だったらどうですか?
妻は自分のことを48才だと信じていて「甘える」ことなど大人の自分にとっては許せないと思っています。
だから大人にとって許せない行動、つまり「甘える」を隠そうとして機嫌が悪くなり怒ります。
そんなとき、私は「は、はぁ~ん、甘えたいんだな」と思い、妻の機嫌につきあいます。
そうすると妻の機嫌は快方に向かいますが、実は夫である私の中にストレスがあり、それが妻に移っているものなのです。
自分の中の自分で気付かないようにしているストレスを見つけて、噛み砕いて受け入れなければ
妻の機嫌は永遠に良くなりません。
妻の機嫌の悪さに子供は敏感で、しかも最も移りやすい、子供は「良い子」になることで妻の機嫌を治そうとします。
そんな家族の中で生きる子供は実に大変です。
そんな環境で暮らしている子供たちに
「よくやっている、大変だけど親が気が付くまでの辛抱だから」と褒めてあげたい。
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不登校の子供を持つ親は、親がカウンセリングを受け方が良いと思う。
親が自分が何者で、自分がどんな人間かを知るべきである。
学校へ行けない苦しみを抱えた子供にしたのは親の責任である、私はそう考えている。
子供の責任やイジメが原因などと、他のことに責任転嫁をしている親こそ、カウンセリングを受けて
自分を見つめなおすことからスタートすると、早いうちに子供を苦しみから救うことが出来る。
もしそれが出来ないなら「加藤諦三」先生の著書を一度読んでみることをおすすめします。
親自身が自分を見つめなおすことがないと、子供を不登校という苦しみから救うことが出来ません。
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本当にどうでもいいこと、どっちでもいいことに訳もなく怒りだす人がいる。
実は私がそうだった。
自分でも理由が分からないけど、どうしようもない不機嫌が続く。
これの原因は私の心の底の底に「甘えたい」「依存したい」の願望があったのだ。
しかも40才を過ぎてもでした、肉体や見た目は40才なのに心はまだ5才児でした。
小さい頃から安心して(安心とはゼッタイに私は見捨てられないという信頼感があるということです)、
甘えることが出来なかった自分に気が付きました。
気が付いただけなのに、ものすごく心が楽になれました。
これに気が付いていない親が多いことにも気が付き(たぶんですが)、今の時代に育つ子供の心が育つ
環境の悪さにちょっと憂鬱な気分がしています。
学校へ行けない子供たちは育っている途中だから、自分で気が付けるなんてコトはあまりないだろうし・・・
大東亜戦争で失った人の中に豊かな心を持った日本人がたくさんいたのだろう想像する、その人たちが
生きて親になっていたらこんな時代は来なかったのかもしれない。
しかし日本やアジアを当時の帝国主義から守るためには仕方なかった戦争だからあきらめもつく。
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親に甘えるとは人によってとらえ方が違うことを知った。
「甘える」とはゼッタイに私のことを見捨てないと言う安心感のもとで出来ることだそうだ。
なるほど私は「甘える」ことが出来なくて、そのことでたまった何かが私を仕事とかに必死で
頑張ってきた原因かも知れない。
ただし仕事では頑張ったかもしれないが、家族を安心させることが全くと言って良いほど
出来なかったのは事実です。
私自身の中にあるものから目をそむけないでイヤで恐いけど正面から見据えてみようと
いま思っています。
子供の心を壊したことがある父親より
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芸能レポーターの草分け的存在の方が亡くなった。
私はこの方の死は人に恨まれたのが病気の原因にあるような気がする、この方も
家族を守るため、生活を守るためにレポーターという職業を選んだのだ思う。(たぶん、わからないけど)
でも取材される側から見ると殺したいくらい憎んだ人も大勢いると思う。
こういうレポーターが出現してから日本が急速に何か悪いことが起きると誰かのせいにしたがる風潮が強くなってきたと感じるのは私だけでしょうか?
ちょっと弱みを見せると大勢でよってたかっていじめる、正義の名のもとに・・・・。
不登校も似ている気がする。
学校に行きたいけど行けないと弱みを見せると、
親は、まずお互いのせいにしてなじりあう、それは子供から見ると
不登校になったのはお前の責任だと言わんばかりに見える。
私は妻や子供の不調、機嫌のわるさは私の責任だと思っている、つまり私の考え方が間違っていると
妻や子供にその間違いが表れる。
子供が不登校になってしまうのは「どこに責任があって、どこに責任がないのか」を瞬時に察知する
能力が親にないのである。
つまり「愛する力」が親にない、私はそう思う。
学校でのイジメが陰惨になってきたのは「先生」のせいではなく、間違いなく「親」の責任である。
だからイジメがきっかけでの不登校も他人つまりイジメる生徒の責任ではない。
親が親以外に責任をなすりつけている間、もっとも惨めな思いですごすのは、不登校になっている
子供である。
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頑固は辞書で調べると、「かたくなで、なかなか自分の態度や考えを改めようとしないこと。また、そのさま。」とある。
前回に少し触れたが、この事は自分の変化について不安がある人の証拠だと思っている、簡単に言えば自分の態度を改めるのが恐い、そしてそれが楽な道なのである。
その不安がどこにあるのか、どんな不安なのかは決して他人には分からないように注意している。
だから他人の気持ちを理解しようという余裕はないのです、自分の不安を隠し通すことで精一杯という状態ではないかと思います。
あなたの近くにこんな人いませんか?
もしかしたらあなた自身かも?
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もう一つの原因を見つけた。
それは自信を持っているの意味の勘違いだった。
自信を持っているように見える人の中に、実は不安を隠そう、隠そうとしている人が自信を持っているように見える場合があった。
家族の中で考えると、なかなか自分の非を認めないお母さん、頑固だといわれるお父さんがその典型かもしれない。
自分の中の不安を的中されて怒り出すお母さんは非を認めることがなかなか出来ないし、頑固で自分の考え方にこだわるお父さんは、違った考え方をするのが不安なのだ、また頑固なほうが今までどおりの考え方で生きていけるので楽なのかも知れない。
しかしこのお母さんとお父さんの不安を完全に見抜いているのがその2人の子供たちである。
見抜くというよりも、吸い取るといった方が適切なときもある。
なるべく親に好かれたいと思う気持ちが子供にあるから、親のストレスを吸い取るのは当たり前なのです。
このことに親が気が付いていないと、前回の話のように子供の心に、親から見たら原因が分からない薄いストレスの膜が何重にも張られてゆくのです。
何が原因がわからない子供の不安症は、ここに原因の多くがあると思っています。
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虐待を受けた子供は相手の感情を見抜くことが出来る能力が育つと思う。
それは最も安心できるはずの存在の親が安心できない環境だから、常に親の感情を見抜かないと生きていけないからだ。
自分の心を見つめるより親の感情を見極めることが必要になる。
すると自分の気持ちを見失うことになり、今の自分がストレスがあるのかないのか判断できなくなる。
私は虐待を受けたわけではないが、親戚の家へ預けられるという経験があうのでよく分かる。
親戚の家では幼い頃から気を使わないとご飯にありつけない、幼い私にとっては死活問題でした。
相手の気持ちを優先する癖がついて、自分の気持ちを見失うと薄いストレスが心の周りに張り付いて、何重にも重なってくる。
一枚一枚のストレスは薄いので気が付かない、しかしパイ生地のように何十枚と重なると中にある自分の心が完全に見えなくなる。
これが「心が壊れる」という状態だと思う。
しかし壊れた心は治せる、それは壊れる心があるからだ。
心がなければ壊れない。
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最近スーパーの買い物でレジに並んでいたら、どこかの60歳前後のおばちゃんが何食わぬ顔をして割り込んできた。
よくラジオやテレビでマナーの注意を喚起するCMにそっくりの場面だった。
自分の時間はかわいいのだろうと想像できる。
私の女房も自分が人に見られることは想像できて、見た目の磨き上げには熱心だ。
私もそうである、自分の楽しみには熱心に取り組んでいる。
なにか変だと感じたのは、5年前。
どうも俺は自分の気持ちがどうなるかは想像できても、他人の気持ちを想像できてないのじゃないのか?
特に、家族の気持ちすら想像しないで生きてきたのじゃないのか?
その予想は見事に当っていた。子供が不登校になった訳が分かった。
私の妻が変わり始めたのはその頃からでした、私が変わった証拠だと実感できたのは妻のお陰だ。
でも変わったことをしたわけではない、私が私自身の欠点を認めて、それを家族にさらけ出せただけである。
もともとたいしたことがない人間なのに、家庭では完璧な父を装っていたのである。その装いも他人の気持ちを想像できない装いだから、もちろんほころびだらけである、それを最も感じていたのは子供たちでした。
だからたいしたことがない人間であることを自ら認めただけである、認めると気持ちが楽になり、家庭にいるのが安心できるようになった。
人間はもって生まれた性格は変えれないが、考え方は変えれるものだと思う。
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